与太話…。
初めて平和記念公園を訪れたのは、高校生の時。
前年度、一つ上の学年が修学旅行中に飲酒等の問題行動を起こし、そのとばっちりを受けた形で、私たちの学年の修学旅行が中止になりました。
これぞ禍々しき連帯責任…。
その代わりに、海軍兵学校があった江田島で研修実習…。
カッターを漕いだり、自転車に乗ったり。
部屋も食事もまあ何と言うか。
楽しさとは程遠い…。
その帰りに、寄ったのが平和記念公園。
とはいえ、なんも覚えていません。
記憶の外。
卒業アルバムに載っているので、まあ行ったんだなあ、くらい。
平和の「へ」の字も学んでいなかったっけ。
仕事を始めてから。
記憶を掘り起こすと、9回、平和記念公園へ行ったかな。
子どもたちの引率で…。
その1回1回にそれなりに思い出があるのだけれど。
自分なりに、「平和」について考えていたと思うのだけれど。
自身の知識と理解と行動とが、微妙にずれていたような…。
その上、押しつけがましかったような…。
今から思えばですけど、
独り善がりだったかなあ。
いや、その時は一生懸命にやってたから…。
とかなんとか、過去を振り返っている自分。
今日、PALさんと2人で平和記念公園を訪れました。
もう一度行きたいとなと2人で話をしていたからです。
8時、津山発。
2時間ちょいで広島着。
思っていた以上に近かった。
広島駅から広電に乗りました。
電車は平日というのに満員。
で、
360度、海外からのお客さんばかりでびっくり。
隣りの方の足が、私の胸の辺りまであって、しみじみ。
原爆ドーム前駅で下車。
駅名の通り、原爆ドームがすぐそこ。


次に、原爆の子の像。

マイギターを持っていって、折り鶴を掲げた少女の像の下で歌を歌ったこともありました。
『ヒロシマの有る国で』
きたがわてつさんが歌っていました。
八月の青空に
今もこだまするのは
若き詩人の叫び
遠き被爆者の声
あなたに感じますか
手のひらの温もりが
人のくやし涙が
生き続ける苦しみが
わたしの国とかの国の
人の生命(いのち)は同じ
このあおい大地のうえに
同じ生を得たのに
ヒロシマの有る国で
しなければならないことは
〇〇〇 〇〇〇〇 〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇
そして、広島平和記念資料館。
なんか…。
展示が変わったな…。
私も年をとりました。
変化を受け入れるのに時間がかかる…。
戦後80年。
今年は、戦後81年。
戦後を
1年1年積み重ねていくことを強く願う。
そう祈念しながら、平和記念公園を後にしました。
帰りの電車の中で、
ふと、
あの頃、平和記念公園の中を一緒に歩いた子どもたちは今どうしているのかな、と。
平和記念公園散歩にて。

