静岡大学 雄萠寮 閉寮
『雄萠寮』新規募集停止、2024年春で運営終了。
・・・って今日なのね。
私の大学生活の半分は、『雄萠寮』で埋まっていて・・・。
あれから40年ちょいかあ・・・。
今でも思い出す鮮烈な出来事がいっぱい!
私の土台を作ってくれたあの環境。
全てが懐かしい。
寮歌「地のさざめごと」
(作成 静岡大学雄萠寮1979年入寮生)
1979年入寮生の皆さん、大角昌巳さん、懐かしい思い出の記録を拝見させていただきました。本当にありがとうございました。※途中で私も出ています(2回)。
さて、私。
学生生活の最初の2年間、『雄萠寮』で暮らしました。
※1980年入寮(大角昌巳さんの1年後輩)。
その時の思い出の数々は斬新というか、とんでもなく破天荒!
何も知らない18歳の純真無垢(本当か?)な私が飛び込んだ『雄萠寮』は全てにおいて規格外でした。
入ったのは3階「不二寮」。
※5階建てで各階ごとにゆるく分かれています。
そして、入ってすぐに先輩からもらった赤い1枚の布・・・。
(何?)
夕刻になり・・・、
「いくぞ~!」
と先輩の声。
あの赤い布は、ふんどしでした。
すっぽんぽんに赤いふんどし。
玄関先に先輩たちと2列で並びました。
「肩を組め~。」
ふんどし一丁の男同士が、二人で肩を組んで走るのでした。
掛け声は・・・。
よく覚えていませんが、「わっしょい、わっしょい。」だったかなあ。
4月上旬でしたが、寒さは全く感じませんでした。
行先はもう一つの寮です。
着いたら、叫びます。
「おまえらあ、女子と一緒でうらやましいぞ~。」
『雄萠寮』は男子のみだったので・・・。
一言(嫉み)言ったら帰途につきます。※それだけのため!
寮に帰ったら、みんなでお風呂に入りました。
なんでかわからないけれど、湯船の中で1回転させられました。
先輩達がよってたかって、大声で歌を歌いながら、いたいけな新入寮生を湯船の中で一回転!
衝撃的!
ちなみに、ふんどし一丁で走るのは『ストーム』と呼ばれていました。
『ストーム』は年に数回ありました。
真冬、静岡駅の構内を走り抜けたりもしました。
駿府公園の噴水の中で汗を流し休憩しました。
今では考えられないなあ。
※ネットで調べてみると、『ストーム』は現在まで続いているみたい。でも、法被を着ている写真を見ると、ご時世かな・・・と。
その後、各階ごとで、入寮の宴会(コンパ)が始まりました。
宴は大盛り上がり!
宴はとどまることを知らないかのように延々と続いていったのでした。
最初がこれですからね~。
惑うことなく最初からどっぷり浸かった雄萠寮生活。
ギターを始めたのもこの頃。
不二寮の友に、3,000円で売ってもらいました。
で、ものすごく練習。
教えてくれる人が周りにたくさんいたのはラッキーでした。
で、
目的は、同部屋の先輩と3人で『雄萠寮』の隣にある看護師の卵さんたちの寮でコンサートをすること。
※動機は不純。ギターが弾ければモテると思ってた。
初コンサートで歌った曲は、アリスのチャンピオン。
いっぱい拍手をもらって、すごく気持ちが良かったのでした!
その後、全くモテなかったけれど、ギターはずっと続けていました。
卒業前には、友達と学部の教室を借り切って歌ったり、気のいいマスターのいる飲み屋を借り切って自作の歌を披露したり。
仕事に就いてからも、ギターが役に立つことがあったから、やってて良かったと思います。
ただ・・・、ギターが弾ければモテるのではなく、モテる人がギターを弾いていたんだなという真理に気付いたときは虚無・・・。
秋、寮祭の一つに『美人コンテスト』がありました。
各階2人(1年生)で、5階あるから出場者は10人。
部屋で座って待っていると、隣りの女子寮の子が来て、顔をべっとり白く塗ってくれました。
唇には真っ赤な口紅。
衣装はピンクのワンピース・・・。
その後、食堂の特設ステージで一人ずつ歌に合わせて踊るのでした・・・。
残酷ショー・・・。
結果は6位か7位だったと思う。何とも中途半端。
※化粧(女装)したのは、後にも先にもこれ1回。
春の合同ハイキング。冬の日本ランドでスケート。
ワクワクドキドキが止まらない~。
『雄萠寮』での2年間は、とにかく破天荒で楽しかったのでした。
※私は2年で退寮しました。上手に言えば、危険回避・自己防衛本能が働いたから・・・。
・・・・・ってか。
2年間の寮生活があまりにフィットし過ぎて・・・。
最初の2年間は、ほとんど大学に行かず・・・。
「何してたの?」と聞かれても・・・、
ただただ思いつくことを気ままに楽しんでいました。
正直、な~んも考えていません。
2年生。
押し迫った3月。
後期試験の結果がポツポツ出た頃。
ふと・・・、
このままではマズイ!・・・よなあ。
惑い発生・・・。
で、惑い払拭のために一念発起。
慣れ親しんだ(フィットし過ぎた)『雄萠寮』に別れを告げ、下宿生活にチェンジ・・・。
これからは、大学行こっと・・・。
普通の学生なら当たり前のことに2年間かかってしまったあ。
その後、何とかギリギリ、3年生になることができまして・・・。
数学Mの宮田先生。
先生の記憶の隅にも残っていないでしょうが、
先生のおかげで留年を免れることができました。
あなたの優しさがあったからこそ、今の私があるのです。
三度目の正直(本試→追試→追試)。
「問題を解くことができないので、覚えてきた問題の答えを書きます。」
と、無茶を言った一人の学生のために、追試(2回目)終了後、教官室でコーヒーを出してくださいました。
今も忘れていません。
ただただ深々感謝。
さてさて、無事(?)に3年生。
4月、講義の教室に最初に入った時、
一人の男が、
「おまえ誰?」
と問いかけてきたっけ・・・。
※男=その後、仲良くなった同じクラスのS君。落研所属。
その理由➡ずっと会っていなかったからか・・・。でも、それだけではなく、体重が入学時より10数kg増えていて、人相が変わっていたのも・・・。
※でもまあ、そこまでの暮らしぶりを思い返すと、致し方ないかあと得心するも・・・。
※今から思えば、愛あるいじりだった・・・と思う。
「お~い、S君。元気で暮らしているか~い?」
『雄萠寮』は1部屋に4人。プライバシーは正直全く無いが、話し相手には困らない。遊び相手もね。
下宿は1部屋に1人。話し相手がいない。なのでそっからは同じクラスの男の下宿を渡り歩いたっけ。
話し込んで遅くなることも度々。青いねえ(まさに青春)。
でもね、そっからは心配無し。大丈夫!
みんな次の日、講義は休まないから!
これをマネできたのが下宿のメリットでした。
破天荒➡まあまあ堅実(?)な暮らしへ。と、言っておこっと。
とにかく寮も下宿もすんごく面白かった!
で、今、現在。
『雄萠寮』新規募集停止、2024年春で運営終了。
今日が3月31日。
現状、寮生が少なくて、やむなく・・・とのことでした。
私としては、『雄萠寮』での暮らし、仲間にただただ感謝湧く。
『雄萠寮』だったからこその体験は珠玉!
懐かしいなあ・・・。