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津山で活きる鶴山男ブログ

先日、木のボールペン作り➀で『かいづかいぶき/貝塚伊吹』を切った時、微妙に長さが短いのができたので、可愛い置物を作ることにしました。

う~ん、誰の分を作ろうかなあ・・・・・。

まずは、お師匠さま。ここは絶対に外せませんね。

左下です。

あと、3~4人分あるなあ。

しばし悩む・・・・。

すごく喜んでくれる顔が想像できる『お友達』『お友達』・・・。
『お友達』ねえ・・・。

提唱者(INFJ型の性格)故、捻じれた思考で考えている・・・(最中)。

・・・、

よ~し、弓道の3人にしよっと。
もう似顔絵イラストも描いてるしね。

で、できました!

消しゴムよりも小さな置物です。

一射入魂➡射の一つ一つに魂を込めよ

射裡見性➡一射絶命、射裡見性➡意味がわからない・・・・・。➡心に留めておいて、折々に調べたり聞いたりすることにします。

可愛い置物ができて、何かうれしくなりました。

『かいづかいぶき/貝塚伊吹』の木目と木肌の色が何ともステキですよねえ。

うんうん、自己満足、自己満足!

射裡見性
射→弓に矢をつがえてさっと放す。その術
裡→「裏」に同じ。日本では、物の内側、うちの意に用いる。
見→顕れる
性→人間の本性

ということは、『弓を引くこと→人間の本性を顕すこと』・・・かな。

調べていると、面白い対談がありました。

千葉:  弓を引くというのは、一本引くのも大変苦しいことなんですね。

金光:  やっぱり苦痛ですか。

千葉:  大変です。とにかく弦を最初の中はまだ緩いですけれど、引き絞ると、もう大変な強い力で圧力が架かって来ますね。それを持ち堪えようとすると、これは体力で持ち堪えるのと同時に、それを阿波先生が言われたように、自分を超越して放れるまで待つ。これは弓で「もつ」、持ちこたえるというのですが、とにかく持っていなければならん。それは心の面と、それから身体の面と両方から言って苦しいですね。早く逃れたくなる。逃れたくなるから、いいところでパッと放してしまう。しかしそれがいけないので、徹底的に倒れるまで持てとさえ言って我々に教えられるんですね。そのことによって自分から超越するのだと思います。先程、金光さん、死ぬとおっしゃって下さいましたけど、死ぬのも自殺じゃいけないんですね。自分で死のうと思って死ぬんじゃなくて、その苦痛と闘って闘って、もう最後の自分の力も無くなるところまでやらなければいけない。そこで自ずからに死ぬことになるという。そういうことなんだと、私は思うんですね。

金光:  それはそうでしょうね。死ぬというのも、本当は自然に普通のほとんどの人は自分で死のうと思わないでも、ちゃんと息が出なくなって、自然に死ねるように出来ているわけですから、いわば弓の中で、自然に死ねるような状態まで持っていくという、そういうことでございますね。もう一つの言葉というのは、どういうことでございましょうか。

千葉:  そういうように、一本の弓を引くにも、自分と闘うということでやって来るわけですね。そうしますと、私は阿波先生の「常住射裡(じょうじゅうしゃり)」という言葉が大変切実になってくるんですね。

金光:  常に射の中に住んでいると、そういうことですね。

弓道と人生  ー阿波研造範士の教えー後篇
平成八年二月四日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたもの

自分を超越して放れるまで待つ、かあ・・・。

離れなくて苦しくて、
その苦しさから逃れようとして、
無理やり離しているのが今の私の『離れ』だと思います。

ただ、

楽になりたいと願うばかり。

弓を引くことは苦しいこと。つまり、悟りを開くための修業・・・。

まあ、なんともなあ。