PALさんと一緒に、シネマクレールで『ヤジと民主主義』という映画を観ました。
今日は水曜サービスデーだったので、お安くなるのが嬉しかったです。
入場番号は、5番6番で、なかなか金メダルは取れませんね。
で、観終わった時、PALさんが、
「ねえねえ、途中で寝てなかった?」
と聞いてきたので、
「そんなことないでしょ!」
と、答えておきました。
でもね、
実際の所、消化できないことが多くて・・・。
今までの『私』。
振返ってみたくなりました。
後ろ向きに・・・。
かつて・・・。
ヤジらなかった、ヤジれなかった。
我慢した。
あきらめていた、あきらめさせられていた。
我慢した。
恐かった。立ち上がれなかった。
我慢した。
我慢してると、時は流れた。
時が流れると、なんか忘れた。
どうでもよくなった・・・。
我慢した。
少しずつマグマが上昇した。
我慢した。
どんどんマグマが上昇した。
我慢した、我慢した、我慢した。
そして、ある時、爆発した。
でも、何も変わらなかった。
悪評だけが独り歩きした。
時が流れると、なんか忘れた。
どうでもよくなった・・・。
今はもう昔のこと。
この映画の最初だったと思うのですが、マルティン・ニーメラー師の言葉に由来する詩がスクリーンに流れました。
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。
社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。
労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。
今は、なんかわかる気がする。
私は声をあげなかった・・・。
そういえば、
昔、ヤジ(怒号)の中でお話する機会(謝罪?)がありましたが、私には助けてくれる人がいなかったなあと、別なところでフラッシュバックしたり・・・。
また、直近の課題を意識しました。
※普段は、頭の隅っこに追いやって考えないようにしている。
年金100年安心プラン・・・って、いつ誰が言ったっけ?
老後2000万円問題・・・って、無い人はどうすんの?
とっても不安、マジ不安になったんです~。
岐のテレビやネットでは、そんな不安な心を煽る、煽る、煽りまくる。
情報自体が不安商法の一面もあるけどね。
悪人は善人の顔で寄って来るっていうし。
でもまあ、流されちゃいますかあ、凡人ですから。
・・・とか。
で、どうなの?
で、どうすんの?
ねえ、ねえ、ねえ。
あっちでウロウロ、こっちでウロウロ。
・・・さしあたって、裁判は続いていくようなので、注目しておきたいと思いました。
ところで、
そもそも民主主義って何でしたっけ?
あとで、もう少しよく考えてみます。
『ヤジと民主主義』を観ることで、昔のことを少し思い出しました。
懐かしいような、そうでもないような、ムズムズした気持ち。
いい映画って、いいですね。※当たり前!
お昼はカニドンです!
初めてのカニドン!
うんうん、大満足!