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津山で活きる鶴山男ブログ

母の誕生日に

上の絵は、LINEスタンプ依頼主さんが小学生の時に描いた母の絵です。題は『おばあちゃん』。現在アラサーの依頼主さんですから、ざっと20年前ですね。

母の年齢は、私に30を足すので、今日で92歳になりました。

金の無いのは首の無いのと同じ。

昔(40~50年程昔)、私が母から何気に聞いた言葉です。

で、とにかく私の成長のために全てを注いでくれたと思います。

私としては、何気に我が家は貧乏なんだなあ・・とか、ぼんやりと感じながらも、横道に外れることなく成長していったかなと。

我が家の家計が数値としてはっきりわかったのは大学生の頃です。

大学の授業料を免除してもらうために、家庭(母親)の年間の所得収入額の提示が必要でした。

・・・100万ちょい。

ここからいろいろ引かれて、家族の生活もあるわけで・・・。その中での仕送り。

そう言えば、4年間の大学生活の間、母は一度も大学には来なかったっけ。

で、大学の授業料は4年間全額免除されました。その頃の日本は、やっぱり優しかったのかなと思います。
※ちなみに、成績には関係なく、所得額で免除(全額or半額)されました。ただし、留年はダメ。
で、私は、4年間、母の気持ちもほどほどに遊び惚けた自堕落の生活を送っていました。留年だけはしないようにいろいろ策を練りながら。
可 可 不可 不可 可 可 良 不可 ・・・。1つ足りな~い。ってお菊さんかい!
今から考えると、バチ当たりかと。若気の至り。

その後、地元に帰り就職して早40年程。そして、定年退職。

優しくしてくれた方への恩義は強く忘れない。ある意味、情は深いかと。けれど、意地悪く対応されたり、差別されたとか思った相手には激情的な怒りが湧いてきて、決して許せなくなる・・・。怒りの感情を上手くコントロールできていなかったっけ。
ずっと対人関係に二面性を抱えていた私。※根本的には、自身の劣等感の為せる業かと。

大学卒業後、一つのお仕事を続けることができたことは、やっぱりラッキーだったのではと思います。そもそも高校、大学にいけたことも、考えてみれば運が良かったなと。
退職の日(昨年の3月31日)、今まで良く持ったなとか思いつつ、兎にも角にも無事に定年までこぎつけたことにホッと胸をなでおろしたりもしました。

横道に外れる機会はたくさんあっても、最終的にはブチ切れなかった。

母に感謝。

本当に賢くしっかりした母だと思います。

でね、この頃(ここ3~4年かな)、

母は同じことを何度も聞いてきます。

退職してからはというと、

※「今、仕事はどうしよるんなあ?」

「ええとな、もうやめたんよ。」

「何年、働いたんなあ?」

「20年かあ?(時々12年とも言う。)」

「いいや、38年だよ。」

「ほ~っ、38年かあ。そげいにぃ働いとるんかあ。」

「そうでえ。」

「そりゃあすごいなあ。びっくりしたあ。」

数分後、また※印から同じ会話が始まります。

母と会う度に、

何回でもこの会話を繰り返します。

何度も驚いて感心してくれるので、何かお得だなあ。

それ以外にも、何度も同じことを聞いてきます。

私を本当に大事に育ててくれた母です。

そして、成長してからもずっと見守ってきてくれました。

ありがたいことです。

これからも、何度でも聞いてくれたらいいな。